
2009年1月、高橋 陽子氏(社団法人日本フィランソロピー協会 理事長)、岩城 正光氏(日本子どもの虐待防止ネットワーク代表)、ジョン・ギャスライト氏(ツリークライミングジャパン代表)、陣内 貴美子氏(バルセロナ五輪バドミントン日本代表)、石井 俊八氏(アムウェイ・ディストリビューター代表)による第6回One by Oneアワード選考委員会が行われ、一般公募で集まった候補者(76件)・団体(179件)の中から厳正なる審査の結果、下記の通り「キッズ個人賞」3名と「NPO奨励賞」6団体が決定いたしました。

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栁沼 輝(やぎぬま てる)くん(福島県/18歳)2歳を過ぎても言葉が話せず、自閉症と診断され、人とのコミュニケーションや団体行動が苦手でした。音楽好きな父の影響で、小さい頃からクラッシックやジャズを聴いて育ち、楽器で一日中遊んでいることもありました。中学3年生の授業で行った木琴の演奏に音楽的才能を感じた担任の先生のすすめで、本格的にマリンバの練習を開始し、才能が開花。巧みな技術と感情を込めた演奏が評判となり、地元オーケストラとの共演や演奏会に多数出演。多勢の人の前で演奏することで人に喜んでもらえる嬉しさを学び、更に真摯な態度で練習に励んだ結果、楽譜から作曲家の意図を理解し、表現力にも磨きがかかり、人前での話し方が上手になるなど、その努力と進歩が評価されました。今後は、演奏活動を続けながら、CD制作や作曲、外国での音楽交流にも挑戦したいという夢に向かって、今日も練習に励んでいます。 紹介ビデオ |
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上山 預宣福(うえやま よせふ)くん(東京都/18歳)生後9ヶ月で、感音性難聴と診断され、補聴器を使用しても人の言葉は聞き取れず、音の on/off が分かる程度。小さい時から映画に興味を持つが、日本映画には字幕がないなどの現実を突きつけられる中で、持ち前の好奇心と工夫と頑張りに火がつき、中学の放送部で映画の自主制作した7 分間の映画はが「東京都盲・ろう・養護学校総合文化祭」で金賞を受賞。現在は、映画と聴覚障がいについて勉強するため、米国留学を希望し、英語の勉強とアルバイトに励んでいます。聾であることをハンディととらえず、むしろ聾の文化を学び、誇りに思えるような映画を製作したいという前向きな姿勢が評価されました。将来は、日本映画に字幕を普及させ、健聴者も障がい者も共に楽しめる映画を制作することが夢です。 紹介ビデオ |
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川空 礼将(かわそらのりまさ)くん (広島県/17歳)病気のため、1歳の時にものがかすかに見えるだけになり、小学校に入学するころには耳も聞こえなくなった川空くん。周囲とコミュニケーションが取れなくなり、心を閉ざしがちだった礼将くんを心配した先生がすすめたのは柔道。相手と組むことで、人と直接かかわっているということを実感できるスポーツだからです。指導者の身体の動きを手で触りながら、技を一つひとつ習得。周囲の人たちの何倍も時間をかけてはいますが、着実に上達し、2007 年には念願だった柔道初段(耳も目も不自由な人は全国的にも珍しい)に合格。2008年の「全国視覚障害者学生柔道大会」では、73キロ級のリーグ戦をオール 一本で制覇し優勝しています。重複の障がいにも負けずに、厳しい練習に耐え努力する姿は多くのこども達に夢や希望を与えています。パラリンピックに出場し、金メダルをとりたい!という夢にむかって今日も練習に励んでいます。 紹介ビデオ |

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福島星哉(ふくしませいや)くん(千葉県/12歳)と福島くんサポーターズ4 歳の時に交通事故に遭い、頸髄を損傷。首から下がまったく動かせない四肢まひとなりました。横隔膜も動かせないため、呼吸器を24時間使用しながら生活しています。しかし、「こうすればできる!こうだったらできる!」という前向きの考えで自分にできることを自ら探し、口を使って書道をしたり、パソコンを操作し、ブログで俳句も発表しています。車椅子で毎日学校へ通う星哉くんの姿に、クラスメートも特別視することなく、必要な手助けが自然となされるなど、クラスに思いやりの輪も広がっています。事故の後遺症に負けずに学校に通い続け、皆勤賞を達成した福島くんと、それを支えた周囲のサポーターの皆さんに選考委員より特別賞が贈呈されました。 |

建設現場で余剰材として出る石やレンガ、タイル等を細かく砕き、モザイク模様としてコンクリートに埋め込んだ「エコ平板」を考案。知的障害の若者に、公園や歩道、壁画等の街づくりの制作機会を提供し、全国200箇所の公共・民間事業で採用されている。知的障がいのある若者に自立の機会を提供するだけでなく、彼らの芸術的感性を活かした作品の製作を通し、社会の一員としての自覚と誇りを持たせていることが評価された。
心と体を癒す自然の中で、コミュニケーション力を引き出す園芸作業を行い、がん患者と家族の心と体のヘルスケアを保つ。植物には人の心を癒したり、和ませる力があり、植物を育てる作業はこども達の心に自信や達成感、期待や喜びを与え、心や体のリハビリや生きる力の回復に役立っている。患者自身が主体的に行動することで、がん=死という社会の意識改革を促し、健康な人々との交流を通じて病と共に歩む人への理解浸透に努めていることが評価された。
公立中学校教員として学校教育が抱える様々な課題を目の当たりにし、「対立から共育へ」をモットーに、民間からの教育改革を提言するために、同僚らと活動を開始。不登校や学校不適応と言われるこども達の背景には、かなりの割合で学習障がいや読み書き困難があることを実感し、学習支援のための教材や指導法を開発。それを広く教育現場にフィードバックし、学習障がいのこども達の困難の軽減に寄与していることが評価された。
沖縄にはこども専門病院がなく、高度の医療を必要とした病児は県外へ行かざるを得ない状況だったため、1996年に「心臓病のこどもを守る会・沖縄支部」がこども病院支援設立協議会を発足し、20万人もの署名を集め、行政に陳情・要請をし続け、病院開設を実現。その後も、入院する病児の家族の滞在施設や、病院ボランティアの養成など、こどもの医療福祉の向上のために積極的に活動している。小児医療や地方医療の崩壊が叫ばれる昨今、住民自らが行動し活動をサポートして自らの医療環境を改善している姿勢が評価された。
障がい児の学童保育を自宅で始めたことからスタート。人間育ちには自然の豊かな環境が必要として山間の民家を買い取り、移転。自然とともにある素朴な暮らしの中で、低農薬の玄米、野菜を中心に、無添加調味料の給食や手作りおやつを心掛ける。他の学童や幼稚園、保育園で受入れを拒否された病気や障がいのあるこどもを多数受け入れ、どの子もこどもらしくのびやかに育つような保育をめざしていることが評価された。
日本中でいじめや不登校、校内暴力が顕在化した1980年代、富山県高岡市内の教員が保護者と一緒に歌や劇を演じる舞台「大空へ飛べ」を始める。保護者と共に歌と劇の文化活動を始め、そこに地域住民やこども達も参加するようになり、いじめや不登校のこども達も居場所を求めて参加するようになる。障がいや年齢、歌や演技のレベルを問わず、誰もが協力しあい、認め合う人間関係を構築し、地域におけるこども達の健やかな成長に貢献していることが評価された。